瓜きざむ


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  瓜きざむ妻は貧しき頃のまま


わがままに生きる

わがままを漢字で書くと「我が儘」
あるがまま、思うがまま、願うがままの生き方を貫くということ。

ところで私たちはわがままはいけない、ダメと教えられてきた
子供の頃は特によくそのことで叱られ、大人になっては、集団の
論理が先行し、自分の思うままというのは規律を乱す違反行為と
として罰則がついて回った。
その結果、わがままはネガティブな意味に傾いてしまったのだ。

だがもう老後の日々は、会社にも行かない意に沿わないことには
自らは、交わらなくていいのである。
思い切りわがままに生きていいのである。

ただしここでいうわがままは、やりたい放題やればいいではなく
自分のこころに添ったということ、同時に他のひと、特に家族や
妻のわがままをも、理解のできる抑制の効いたもので、なければ
いけない。

気兼ねなく思うままに生きられと考えるだけで、今がより以上に
愉しく感じられるようになるはずである。


   瓜きざむ汗の匂ひのせぬ妻よ


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茨の花

i茨の花


   野仏の開かぬ片目花いばら


句会のたのしみ

私の参加している句会のご婦人方はいきいきとしている。

そのご婦人方、句会に参加する以前は、「○○さんの奥さん」
「誰それちゃんのお母さん」としての立場でしか、社会と接して
いなかった方が、多かったのではなかろうか

いま、参加の句会では、誰しも「○子さん」と呼ばれている。

つまり、奥さんでもお母さんでも、女も男も老いも若いもなく、
句会では作品を通して、自分個人なのである。

まして、社会的な地位、職業、前職などに全く関係なく、対等に
交わることができ、誰かれ忖度することも、おもんばかることも
無い時間を持つことができる。

これらのことだけでも、俳句を詠み句会に参加するということの、
価値と魅力を感じることができるであろう。

私は、昔は自分の名前があまり好きではなかった
しかし今では句会で、自分の句が選ばれ披講されれば、誇らしく
大きな声で名乗りをあげている。

「ご婦人方」などと失礼な書き方をしたが、皆さんは、大結社に
所属され、佳い句を沢山お持ちの俳人方々である。


   相聞の歌碑青みたる苔の花



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島唄の思い

さとうきび畑


   思ふこと言はぬ哀しさなめくじり


THE BOOMのヒット曲「島唄」、その創作秘話を、前日の記事で
紹介したが、今日は、この歌詞に込められた意味を・・

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いて
いる)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波の
ように広がった)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の
彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が
訪れた)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えて
しまった)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の
彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を
届けてほしい)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の
彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の
彼方にある神界 “ニライカナイ” に戻って行きなさい)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を
届けてほしい)


いくどか耳にした歌ではあるが、改めてもう一度聞いてみようと思う・・


   ゆく夏の役目を終えし千羽鶴


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島唄

デイゴ


   内に向く鉄柵の棘デイゴ咲く


沖縄の施政権が日本に返還された「本土復帰」が、今月の15日に
満45年を迎えた。

過去の経緯や、今の沖縄の状況への思いは、人それぞれにあるが
事実として、在日米軍基地の総面積のうち沖縄における割合は専用
基地としては約75%を占め、共用基地を含めては、約23%がある。


沖縄民謡の調べと、独特の歌詞で若者から大人まで支持された、THE
BOOMのヒット曲「島唄」、その創作秘話が2005年8月の朝日新聞に
「宮沢和史の旅する音楽」として連載されているので紹介する。

たった一人のために

「島唄」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った
歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和
祈念資料館」を初めて訪れた。
そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を
引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が
犠牲になったことを知った。
捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話しを
聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒り
さえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような
造りになっている。
このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに
風に揺れている。
この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。
歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。
「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」と
いう下りだ。
「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われて
いる音階に戻した。

2人は本土の犠牲になったのだから。

           (みやざわ・かずふみ 1966年生まれ 歌手)

こうして「島唄」は作られ、1992年のアルバムに収録された。

では、この歌詞の持つ本当の意味とは・・


   口下手な父の水風呂敗戦日



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豆の飯

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   豆の飯ふはりと母の戻りくる


私の母には、毎月1日に赤飯を炊いて食べるという習慣が
あった。
ただし、母のオリジナルか季節にはえんどう豆、グリンピース
ご飯に替わり、これが母の大好物であった。

この1日に赤飯を食べる「おついたち」という習慣は、古来の
商家から受け継がれているもののようである。

「今月も、1日(おついたち)をむかえられた喜び」
「月のはじめに、この1か月商売がうまくいきますように」
そんな意味合いがあるようだ。

まめに働けるように、健康に暮らせるようにとの、意味合いでも
現在も、この習慣が続いている。

ところで、「おついたち」とは
太陽太陰暦を含む太陰暦では、朔(新月のことをいう)を、月の
始まる日、「1日」とするとなっている。

月の始まりは「月立ち(つきたち)」が転じて「ついたち」とよばれ、
朔日は「ついたち」と訓読みし、朔だけでもついたちと読むように
なったそうである。

神事としても色濃く残っており、伊勢神宮を初め一日に普段より
早く起きて、「朔日参り」をするならわしがあり、無事に過ごせた
1か月を感謝し、また新しい月の無事を祈ってお参りをする。


   泣けばいいそつとよそひし豆の飯



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プロフィール

遊歩

Author:遊歩
あっという間に歳を重ねてしまいました。
せめて俳句への感覚は、若く保ちたいと思い続けています。

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