海灼く

鮫


       海灼くる一瞬鮫のまばたきて


次の2つの句の中の鮫、そのままに読んでも読めない。鮫をなにに置き換えようと
しているのか、そんなものではなかった・・

俳句は凄いなと思わせる句と、それと同様に凄いその鑑賞文を紹介する。


     列島をかじる鮫たち桜咲く  坪内稔典

だいぶ前にはじめてこの句を読んだとき、一コマ漫画みたいだなと思った。
真ん中に日本地図があって、周囲の海から獰猛な目つきの鮫たちが身を乗り出す
ようにして、容赦なくガリガリと列島をかじっている。
地図の上では、そんなこととは露知らぬ人たちが、暢気に開花したばかりの花に
浮き立っている図だ。みんなニコニコと上機嫌である。
といって、句はそんな人間の営みを揶揄しているのでもなく、批評しているわけでも
ない。ただ、人間とはそうしたものさと言っているのだと思う。
どこか滑稽でもあり、同時に切なくもなる。そして、再びいまのような状況の中で、
読んでみると、この句の味わいはより鋭く心に刻まれるようだ。
日本中に善意の押し売りが蔓延し、「がんばろう日本」などという空疎なスローガンが
飛び交うなかで、この句のリアリティが増してくる事態を、どう考えればよいのか。
テレビのCMで頻繁に流れてくる金子みすゞの「みんな良い人」みたいな詩よりも、こう
いうときにこそ、せめてこういう句を流せるようなタフな国になってほしいものだと
思う。 清水哲男


     梅咲いて庭中に青鮫が来ている    金子兜太

早春の、梅の咲き出した早朝の、空がやっと白んできた頃に見た幻想であろう。
先日、長谷川櫂が「現代俳句の鑑賞101」に「これは幻。梅には鶯、魚であれば
せいぜい池の鯉と決まっている日本の詩歌の常識に、飽き足らぬ人の見た凶暴な
幻である。」とあるのを読んで、凶暴な幻というのに戸惑いがあった。
ところで、早春の青鮫の幻想は、作者の心理的のどんなところから来ているのだろうか。
白白とした静謐ななかに潜む、春の蠢き、怖さかもしれない。
作者はそんな予知的な感受のデリカシーが強い人なのであろう。韻が5,5,9である。
句の作りから見ると、梅と青鮫だけでは、読者のなかに感応の不協和音が立つ。
「庭中に」という措辞が緩衝材の役割を果たしている。
庭という限られた具体的な空間が散漫にならず、この奇異な青鮫が、読む側に多少奇異
ではあるが、入りこめるのだと思う。  村井秋


なお、「鮫」だけのことを言えば、鮫は冬の季語である。


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Author:遊歩
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せめて俳句への感覚は若くありたいと思い続けています。

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